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2006年5月31日 (水)

あらざらむ・・・

あらざらむ 運転資格の 思ひ出に 今ひとたびの ドライブもがな

 運転資格はなくなってしまうであろう。せめて、その前にもう一度駆ってみたいものです

「電車の運転用品」本日、返上いたしました(T T)
Uteshi_youhin
元歌
 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いま一たびの 逢ふこともがな (和泉式部)
 
  死期がせまったと自覚されたときに、男の元につかわしける歌。

元歌ほど悲壮ではありませんが。

子どもが発熱したので病院へ。待合室のソファーにすわり長いこと待つ。病院の中庭の松林がパノラマのように見渡せる。
・・・と、視界が、意識が?ばくぜーんとしてきて、景色が古い映画を見るように映る。眠いのとは違う。走馬灯をみるようにセンチな気分になる。数十分ほど続いたか。何でこんな心持になるのかと不思議だなあと思っているうちに、今度は胃のむかつき感。(実際には吐かない)
と、突然足をばたばたさせ上半身が強烈に左右にねじれるような感覚に襲われる。相当長く続いたような気がした。終わるとすぐにけろっとして普通の景色に戻っていた。
が、すぐ隣で見ていた子どもは本人の自覚とは違った。「急に体をゆすり足をバタバタさせスリッパが飛んだ。なにやってんの。恥かしいからやめてと思った。痙攣は10秒くらい。その後20秒くらい、ボウッとしていた。」

が、このとき、およそ1年前(尼崎事故よりは後)におきた謎の立ちくらみのことを思い出した。電車の乗務が終わり、留置用のブレーキ操作を終えて、運転台を立ったあと、なぜか気を失い倒れていて、気がつくと、なんでこんなところに倒れているのかと。自分ひとりであったし、こんな既往症も無いので、まさかのそのときは癲癇?とはゆめゆめ思わなかった。だが、このときも古い映画を見るような、同様の予兆があった。(眠いときより、意識レベルの維持は容易に思えた。)上司にはいちおうこの立ちくらみの事実は報告したのだった。が、自他ともにその時点では、癲癇とは知る由も無い。

診断内容。
 頭部MRI、脳波ともにとくに異常を認めなかった。症状より癲癇は否定できないと思われます。

尼崎事故の運転士が、もし初めて見舞われた癲癇発作だとしたら・・・事故原因、事故を起こした運転士への見かたも変るのではないだろうか。赤信号の冒進、オーバーラン・・・単に「眠い」では考えられない。(普通はひとつミスれば目は覚める)癲癇発作予兆時だったとすれば。脱線直前、運転士が微動だにしなかった、という目撃証言・・・眠っていれば”舟をこぐ”はずであるし。

そして、自動車の運転免許も、今回、更新出来なかった。
しかし、H14.6.1の道交法改正で、癲癇は運転免許の欠格事項ではなくなって、条件付で更新が認められることとなった。いつの日か、自動車は免許更新できるかもしれない。(電動アシストつき自転車に萌えの今日この頃)

ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき

生きながらえてふりかえれば この不遇な今も懐かしく思うことだろう。憂いに満ちた過去も今になってみると恋しいのだから。

高卒で国鉄を目指したときは、視力1.0以上かつ裸眼視力0.4?0.3?が条件にあり、断念した。その後8デオプトリー以下の屈折力のメガネで1.0が見えれば運転士は目指せるようになった。そして、実現した。
自動車免許も、癲癇は問答無用の欠格事項から、医師の診断によっては認められるようになった。矯正・投薬で正常になるのならこういった職業の選択に制限を与えるべきでは無いと思う。その点、世の中は歩みは遅いものの、良いほうに向かっているのだと・・・

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コメント

私が現場にいた頃も、眼鏡をかけていては運転できないとか話もありましたが、試験に受かった方を見ると眼鏡の方も結構いて、制限が緩和されていく方向なのかと思いました<かれこれ20年近く前。。。
私は後に乗っていた方ですが、乗れなくなった後の感慨はひとしおでした。
今でもたまに乗務している夢をみたりします。

投稿: のんきち | 2006年6月 1日 (木) 23:54

眼鏡をかければ見えるのに、と悔しがったものです。
根拠の薄い規制は、緩和していって欲しいと願うものです。
>乗れなくなった後の感慨:いざキーや規程集、時計を返納すると、ひとしおであります。
さいわい、見習の担当期間を無事終えた後の出来事だったので、見習さんが晴れて国家試験に合格してくれれば・・・さっそうと運転士として活躍しているところを見れば・・・また感慨はひとしおかと。

投稿: ゆうひぶたっくす | 2006年6月 2日 (金) 20:42

運転の勤務は終わられたのですね。
長年実務で培われた技術を生かせる場がなくなってしまうのは
とても惜しい気がしますが、それが人の命を預かるお仕事の
宿命なのですね…。
長年のご乗車勤務ご苦労様でした。

投稿: うなむ | 2006年6月 3日 (土) 02:46

>うなむ様

幸い動から静へと、職種はかわりましたが、ぽっぽ屋として引き続き職を得ることが出来ました。

>人の命を預かる:癲癇は壮年あるいは中高年で初めて症状を訴える場合もあるようです。

私の場合も、操縦免許試験を受ける際にそれなりの医学検査を経て、現時点でも検査には異常が無いのです。自己申告による以外、運転中の発作という危険を回避する方法はないといえます。

一方、自己申告することでおきがちな職業・資格上の不利は、診断・治療を前提に、公共の福祉に反しない限り救済される、社会的バックアップも重要と考えます。

あれれ、このブログに似つかわしくない、哲学的?な内容になってしまいました。m(_ _)m

投稿: ゆうひぶたっくす | 2006年6月 3日 (土) 07:35

突然の出来事で人生針路変更はさぞお悩みになったことでしょう。
公共交通機関運転資格制度の細部はあまり知られていないことだと思いますが、レールに限らず空の部門も相当に厳しいものだと聞いています。
それに引き換え道路上の「甘さ」はいったいなんですかと思います。

田舎ではモミジの軽トラが年々増殖、今後もさらに増え続けるわけですが、身内が加害者になったときを思うと怖くて仕方がありません。なんとか試験制度を厳しくして更新できないようにならぬものなのか。絶対に合格しませんから。

その場合、バス無料等、社会的バックアップが必要ですね。

投稿: baja | 2006年6月 3日 (土) 10:49

病名(症状名?)がはっきりすれば、その症状を防ぐ、抑える、改善する良薬もきっとあるはずです。
いつの日か乗務に復帰なされる日が来ることを念じています。

baja様>..モミジの軽トラ..
あぁ、我が家の爺様も該当します。80過ぎで軽トラと5ナンバー小型乗用車所有..
しかも、要介護者を病院に送迎する運転ボランティアしてます。
私的な思いですが、高齢者のクルマが怖いのは保険の方です。
任意保険をかけてない老人車が意外と走ってます。
(一度、これで痛い目に遭いました)
仰るように高齢者がクルマに頼らざるを得ない状況を何とかしてほしいです。
当地では、公共交通機関そのものが限られる上に本数激減(バスは日に朝夕1回のみ)
#バス無料よりもバス増発が必要かと..

投稿: Ken28 | 2006年6月 3日 (土) 11:25

>baja様、Ken28様

電車運転士、ガキのころからの憧れの職業でしたから、決断には15分ほど悩みました(笑)
志半ばなら悲壮感にさいなまれたことでしょうが、営業列車で約3年、構内入換も入れると約5年経験できましたので・・・不思議と満足感があります。

道路のほうが、運転者の意識消失などの疾病が起きると事故に直結するので深刻です。免許更新時の、痙攣・意識消失に関する問診票も自己申告、シカとしていれば更新できてしまいます。(レールならATSやデッドマン装置でブレーキはかかり最悪の事態は防げることも多い、とはいえ完全ではないし、いざ事故になると多数に影響が及びますが)
そう思うと・・・多くの不発弾をかかえているようなものです。
反面田舎では、車社会(というより車依存社会)なのでバスも衰退、車が使えなければ農作業・生活に即支障が出ることも事実です。

免許更新は:機械的、事務的な更新手続きではなく、その時点で運転するに足る資質があるか=免許をあたえるに値するかをチェックするべきと考えます。疾病、老齢化等で資質に足りないものは容赦なく保留、ただし、治療、訓練で改善が出れば復活するようにする。こすればヤバイ疾病をかくして乗るようなことが減るはずです。
しかし、任意保険無しとは・・・

交通弱者を救済するべき公共交通機関の不便さ(そんな企業に勤めておりますが、早番のときは自社の電車では出勤が間に合わない)は、車社会の積み残してきた課題ですね。

投稿: ゆうひぶたっくす | 2006年6月 4日 (日) 05:49

ken28さん、ゆうひぶたっくすさん

都会のように交通機関が発達しているところは老齢者の無料パスなども出ていて生活は田舎と比べて恩恵があると思います。しかし、その交通機関を利用するためにバス停、ないし最寄の駅までは1キロ以上は平均あるのが通常ではないかと思います。田舎はちょっとそこまで行くのにも車です。1キロ以内ののコンビニにも車です。そういう依存度が抜けないのも事実。都会のほうが歩いていると思います。もっと歩きなさいと。

老齢者の車問題、周辺環境が先か、それとも増え続ける事故の対策が先か、いずれも政治やお金に絡んで一向に先が見えませんね。
また、要介護者の場合、身内が同居しているときは良いですが、それ以外だと公的サービスに頼らない限り何も出来ませんね。ken28さんのお身内の運転ボランティアも大変良いことだと思いますが、保証はあるのでしょうか。無保険車以上に心配です。

投稿: baja | 2006年6月 4日 (日) 10:10

誤解を招いてしまったようです。m(_ _)m >baja様
運転ボランティアとは、市(施設)所有の介護者用送迎車の運転です。
(老齢者が運転する公用送迎車が老齢者が運転する自家用無保険車以上に心配?とは思いませんが..)
また、我が家から最寄り駅までは5kmあります。1km程度の範囲内にコンビニ店はありません。
仮にそういう店が近くにあったとしても、退勤時に道すがらのお店で買い物をする人が多いという実態があります。
コンビニ店は客足が伸びなければ撤退するので、結局、人通りの多い(交通量のある)所に増えます。
こういう実態も含めて、地方(田舎)と大都市の差を感じます。
都会の人がクルマに乗ることに反対はしませんが、通勤にクルマは不要と考えます。
逆に、地方でノーマイカーデーを実施する場合は、代替え交通機関が無いこともあり、なかなか難しい面があります。
バス代無料でも日に朝夕1本では話になりません。
当地では、老齢者は病院や施設送迎のタクシー料金が割引になっています。この制度をもっと推し進めてほしい気がします。

投稿: Ken28 | 2006年6月 5日 (月) 18:41

ken28さん
公的介護送迎車では保険が付いているので、他人を乗せるリスクはのこりますが安心できます。
私はボランティアは広い範囲で使われますので、自己所有車で好意だけでボランティアをしているのかと思ってしまいました。

お住まいの地域の想像はつきます。こちらとて同じようなものです。急速に都会化していますがまだまだ同じです。我が家からも最寄駅まで同じ様なもので、それが新幹線という超便利な乗り物なだけですが、日常生活には我が家にはまったく関係ありません。ただ、新幹線のおかげで便利になった反面、車への依存度が大きく、公的交通機関は高いから、時間が不便だからと子供の送迎にも自家用車を使う、そうすれば必然的に交通量多くなり交通事故のリスクが高くなってしまう。年々増加するモミジへの懸念、身内の爺さんの運転が危ない、実際に事故を起した。なんとかしてと思う。となった経緯です。

>当地では、老齢者は病院や施設送迎のタクシー料金が割引になっています。この制度をもっと推し進めてほしい気がします。

本当にそうですね。

投稿: baja | 2006年6月 6日 (火) 06:28

>もっと歩きなさいと・・・田舎では車が必需品ゆえに、耳が痛い訳で(笑)

また、老齢者でも、運転するに足る資質が高い人もいますし、しかし個人差が大きいのも実感として感じます。

私はまもなく免許が失効します。その期間は果たしてどのくらいか今のところ分かりません。老齢者が免許返上したときの疑似体験が出来るかもしれません。

投稿: ゆうひぶたっくす | 2006年6月 6日 (火) 06:28

>また、老齢者でも、運転するに足る資質が高い人もいますし、しかし個人差が大きいのも実感として感じます。

私が一番感じているのはこの点です。
さらに言及すればどうしたら運転下手なくせに「まだまだ若い」と思っている、いつかはまた事故を起す可能性が極めて高い身内の免許を返上させることが出来るのかな点です。

体験しなくてもわかりますね。私はさほど困らない仕事なのですが、日常生活は家族がいてという条件付になってしまいます。

投稿: baja | 2006年6月 6日 (火) 06:35

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