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2010年8月18日 (水)

気ままなエンジン談義(3)

 我が家にマイカーがなくなるころ、第一次オイルショックが始まるすこし前だった。
小学校の担任の先生は、ロータリーエンジンにとりつかれていて、ローターの回る模型を教室にもってきていた。
「直接的に回転運動を取り出す、こういうすごいエンジンがつくられた。これからはこれになる」と力説していたのが印象に残っている。
自分はというと、これからはどこの車もみんなロータリーエンジンになっていくのかな?くらいに素直だった(笑)

 回転機大好き人間で、マブチモーターにワクワクし、大きさ各種とりそろえていたし、模型の木のふねを作って、小学校の冬のプールに忍び込んでモーターボート競走をしたりした。(安全上からも、当然に怒られたが)

 中学になると、技術家庭科でエンジンの構造の学習もする。農用エンジンの分解組み立て、運転だ。クボタの骨董品のような、フライホイールのでかい灯油エンジンだった。
さらに申し出て、学校にあった未整備の灯油エンジン、日鋼ムサシエンジンの整備を先生に買って出た。
特にキャブレターの洗浄、整備は苦労したが、しまいには快調に回るようになった。

このころ、車の排ガス規制が段階的に厳しくなっていく時期(最終的には53年排ガス規制)だった。
「手を汚すことを嫌がっていてはなんにもできねー。」と常々言っていた技術家庭科の先生は、このことを悲観していた。地球上に窒素がある限り、どうしても窒素酸化物は生じてしまう。乗り越えていくのは難しいだろう、と持論を展開していた。
が、ちょっと後に三元触媒が実用化され、結果的にはこの教諭の悲観は杞憂に終わった(笑)

が、中学校の庭にはすでに、先生たちの車にも中堅メーカーのホンダのCVCCやスバルのSEEC-Tのロゴをつけた適応車がお目見えしていた。大手のトヨタTCCはちょっと後だったような気がする。
スバルが早期に排ガス規制に対応したのはうれしかった。ひそかなスバルのファン心は生きていた。

が、オイルショックも排ガス規制も、家にマイカーがないので、どこか他人事のようではあった。

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コメント

そういえば、ありましたね、エンジンの授業。
でも記憶では、せいぜいカットモデルを使った講義だけで、実機を運転したりはしなかったように思います。

授業はともかく、その頃の私は模型用エンジンを乗せたUコンに夢中で、着ているものは大抵ひまし油の染みが出来ていました。(笑)
小型のグローエンジンは始動が難しく、機嫌が悪いと全く飛ばせぬままバッテリーが上がってしまい、撤収することも珍しくありませんでした。
もともと好きだった飛行機と共に、機械や電気に興味を持ったのもこの頃にルーツがありそうです。

投稿: ich | 2010年8月19日 (木) 21:25

>ich様

 我が技術家庭科の先生は、なかなか骨な方で、「わざわざ構造がわかりやすい古いエンジンを用意してある。」
目の前でばらしていき、これがピストンだ、連接棒だ、ビッグエンドだとやっていました。
運転も実際にやって見せていました。きのこ型のマフラーからパンッ、パンッ、ババババ・・・と威勢のいい音が出ていました。
 息子に聞いてみたら、いまはそんなことしてないとのことで、トレンドの技術というものも次代によって変わっていくのだなぁ、と思いました。

 マブチモーターを売っている模型店には模型用エンジンもあって、回してみたい欲求に駆られたことがあります(笑)
結局私も、今の会社に入社のきっかけを得たのは直流モーター、それに興味をもったこのころがルーツです。

投稿: keypon13^2 | 2010年8月19日 (木) 22:50

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